「端午(たんご)の節句」って何?
もともとは中国から伝わった行事。
端午の「端」は「はじ/初」の意味で、元来は月のはじめの「午/うま」の日のことをいい、
必ずしも5月5日に限ったことではありませんでした。
◆
しかし午(ご)と五(ご)の音が同じなので、毎月5日を指すようになり、
やがて五が重なる「5月5日」を重五の日と呼び、それが一般的なものとして定着していったようです。
この日は邪気を払う「厄よけ」の意味があり、薬草であった「菖蒲」を軒に吊したり
「菖蒲酒」を飲んだり「菖蒲の湯」に浴したことから、「菖蒲の節句」とも呼ばれます。
◆
また武家時代になると、菖蒲はその音から「尚武」(=武事・軍事をとうとぶこと
)に通ずるため、
男の子の尚武的な気性を養成する日として、盛んに端午の節句を祝うようになったようです。
◆
なんで「こいのぼり」を揚げるの?
江戸時代にはいると、幕府が5月5日を重要な日として定めます。
それを機に、武家では男の子が生まれた時に、その目印として、
屋敷の門前に、 馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて祝うようになりました。
◆
それが一般にも広がり、幟旗を揚げることを許されない庶民たちが、
それに代わって「鯉のぼり」をあげるようになったのです。
鯉は中国の竜門伝説(黄河上流の竜門にのぼることができた鯉は化して竜となる/登竜門)から、
子供の立身出世の象徴とされました。
◆
そして、男児が誕生した家では、「この家の子をお守りください」と天の神に守護を願って、
その目印として盛んにあげられるようになったのです。
なんで「鎧兜(よろいかぶと)」を飾るの?
鎧兜が飾られるようになったのは、それ以降のことのようです。
戦場で身を守ってくれる鎧や兜は、武家にとって大事なもの。
そこで、子供に災いがふりかからず、無事に逞しく成長するようにとの願いを込めて
こいのぼりと共に、鎧や兜も飾られるようになったようですよ。
◆